トップページ > アーカイヴ > インタビュー > Vol70. 特別対談 播本枝未子×西巻正史

アーティストボイス

播本枝未子&西巻正史

芸術の本質を問う5つの個性

トッパンホールプレスVol.93より

特別対談
播本枝未子(東京音楽大学ピアノ科教授)
 × 
西巻正史(トッパンホール)

取材・文=トッパンホール
写真=藤本史昭

西巻: 今日はありがとうございます。播本先生とは、東京音大の授業にお招きを受けているご縁もあって、日ごろから音楽を中心にいろいろな物事の考え方や意見をよく交換させていただいています。〈異才たちのピアニズム〉は、コンサートファンの方のみならず、ピアノを学ぶ若い人にもぜひ聴いてほしい、という趣旨で企画したので、先生に教育者としての目線も交えながら、ご意見、ご評価、ご期待などを伺えたらと思います。

播本: まずは、トッパンホールがやっと、こういうまとまったかたちで、ピアノに取り組んでくださることがとても嬉しいですね。いままでは、弦や歌曲に重点を置いていらっしゃる印象でしたから。

西巻: 開館初期にサハロフをやったり、2007年には〈ピアノの鬼才〉(*1)、数年前には〈アジアの感性─多彩な才能とその多様な可能性〉(*2)やブロンフマンを取り上げましたし、ピアノにもこだわってはきました。ただピアノは、ほかでも本当にたくさん公演されていますから。

播本: だからこそ、トッパンホールの本気を見たかった。弦や歌曲では、世界のコンサートシーンに影響を与えるほどの実績をお持ちでしょう。そのご見識で、ピアノにどう切り込んでくださるか、とても期待していました。まず、トラーゼからお話ししていいかしら。

西巻: やっぱり、そこからいきますね。

*    *    *  
播本: いちばん聴きたいのは彼ですね。トラーゼは本当に凄い。聴くと魂を引き抜かれる、もの凄い力でこう、えぐり出される感覚があります。内臓を引っ張られるような。この世ならざるものというか、まさに怪物ね、ロシアの怪物。彼を聴くことは、大変な体験になるでしょう。

西巻: いまだ出会ったことのない衝撃がこう…、きますね。

播本: 背負っているものが全然違う。あのピアニズムに到達するまでに、どれだけ耐えてきたのかと。

西巻: いまのジョージア(グルジア)出身で、ソ連政権下で音楽家になった人ですから、相当厳しい環境下にあったでしょう。

播本: ピアノもないなかで、なんとしても弾くのだ、音楽をやるのだ、生き抜くのだという、凄まじい執念で演奏家になった。一音たりともムダにしないし、あの強靭さには言葉がありません。

西巻: たった一音で、世界を一瞬にして変えてしまう。ロシアのアーティストの底力。それが眼前に浮かび上がることでしょう。

播本: 彼らは意味づけのない音は出さない。当たり前の話なのに、その意識を持つピアニストがいま、どのくらいいるかしら。以前、トラーゼがベートーヴェン作品をレッスンしている映像を見ましたが、彼の指摘を受けて弾きなおすと途端に角度が変わって、生徒が急速に成長、変化する。その様子はまったく驚きでした。彼はいまおいくつ?

西巻: 65歳かな? なんと今回が日本初リサイタルだそうですが、コンチェルトでは何度も来ています。ゲルギエフの遠縁という話で、出はじめのころのゲルギエフがよく連れてきていました。

播本: あのころのゲルギエフ、面白かったわね。

西巻: 野性味というか、大地や民族の血の匂い、そういうものをドクドクと感じさせましたよね。トラーゼには、いまもそれが残っています。若いころから、民族系の作品にものすごく強かった。

播本: 骨っぽいというか、とにかく力強い。環境的な背景があってでしょうけれど、それだけでもないと思わせる、本当に凄い芸術家。

西巻: トラーゼには、プロコフィエフをメインにとリクエストしました。最終的に“Around Prokofiev”と自身で銘打ってきた、ハイドンからはじまるプログラムです。プロコフィエフはソナタの7番、3番のあと、コンチェルトの2番を弾くんですよ、1楽章のカデンツァ。長くて難しいアレを。

播本: え! どうやって弾くのかしら、そこだけ突然入れて。それで、ラヴェルの《鏡》から2曲?

西巻: プロコフィエフ以外は、彼に影響を与えた作曲家が時代を超えて並びます。これはちょっと箸休め?

播本: 〈道化師の朝の歌〉がね(笑)。最後が《ペトルーシュカ》と。う〜ん、これは面白い。2時間を通してどういう光景が立ち上がるでしょうね。待ち遠しいです。

*    *    *  
西巻正史 西巻: 実は、トラーゼのリサイタルは20年近い僕の念願で、今回のシリーズも彼を核に構成しました。以前は純粋に“この凄い音楽家のリサイタルを実現したい”と考えていたのですが、時間が経っていまの日本の状況を鑑みるに今回は、こういう音楽家こそ若い人に聴いてもらいたい、という思いが強くあります。テクニック的に弾けていても、まだ“音楽”が弾けていない、表現できていないことに気づいてほしい、というね。そういう趣旨は、東京音大の授業でもいつもお話ししていますけれども。

播本: コンクールの影響でしょうね。コンクールが技術的な面から評価されやすいのは客観性、公平性から考えると仕方のないところがあるし、コンクールに通れば、開ける道があるのも確か。だから、プロフィールに受賞歴を書きたいと思えば、学生たちはその評価軸にどうしても寄ってしまいます。結果、金太郎飴というね。音楽を表現するという本質、深みまで意識が届いている子は、残念ながら少ない。教育の現場にいて責任を感じています。なにかできることはないかと。20年くらい前に私がピアノ科の主任を8年間務めた時に、ピアノ科の体質と授業の内容をかなり改革しました。ひとつには、音楽関係に限らず、いま社会で活躍なさっている外部の方に講義をしていただく。西巻先生もそのおひとりで、ピアノ科だけで年に20人以上お招きしています。大学時代というのは、どうスキルを重ねて卒業後に社会へ飛び立つか、どう生きがいを見つけていくか、それを考える時間ですからね。社会に立つ以上、必要な使命感にも目覚めてほしいし、自分の周囲にしか関心の向かない学生の視野を広げたい、社会への風穴をあけてあげたいと思ったんです。さらに、より広い世界を見てほしいと思って、外国に行きやすいよう短期留学の制度もつくりました。大学は公欠にして、費用も大学が半分くらい持つ。ヨーロッパの大学との提携も自分で動いていくつかつくりました。

西巻: 学生の反応はどうですか? 留学します?

播本: 私のクラスは、私が日ごろからハッパをかけているので、多い時で年に4、5人行っていますが、残念ながら、全体的に男の子は消極的です。東京音大は、ピアノをはじめたのが遅い子が少なくなくて、その分非常に熱意が高い。のびしろもかなりあって、どうにかしてあげたいんですけどね。いまは経済的に余裕がなく、アルバイトしながら、という子も多い。でもやりたいことがある、賭けたいものがあるのは、人としてとても幸せなこと。精神的にきつくて、泣き言こぼしながらでも頑張っている子が何人もいます。助けてあげたいんですけれども。

西巻: でも、音大生に限らず若い人は弱くなっている印象ですね、残念なことに。

播本: いまの日本の男の子は、体も細いしね。私は、まずは体をしっかりつくる、そこによき精神が宿る、と思っているのですが。卒業生が慕って頼ってくれるのも、嬉しい反面ね、いつも言うの。あなたたちがこれから日本を背負っていくのに、そんなんでは任せられないじゃない、って。

西巻: そういう状況だからこそ、真の芸術、人間の存在への問いや葛藤が表現されているものに触れて、何か道を見つけてほしいと思うんです。

播本: 世の中総じて、わかりやすいもの、簡単なものに流されつつあって、いろんなことがどんどん平たくされている。最近はもう、芸術は必要とされなくなるのかな…と感じることもないではありません。でも敢えてそれに取り組もうとするのであれば、その本質や価値をしっかり見極め、認識してほしいですね。確かにこのシリーズは、その貴重な機会だと思います。

*    *    *  
西巻: 若い学生に聴いてほしいという点で、トラーゼとともに必須だったのが、ヘルです。

播本: 彼は長年の友人です。あたたかくてまじめで、本当に素晴らしい人。

西巻: そのうえ、頭もいい。

播本: そう! なのに全然威張ったところがなくて、とても澄んだ目をしている。ピュアな赤子のような目のトーマスと、怪物トラーゼが並んで、面白い。

西巻: ヘルといえばリゲティ、2016年6月にエチュード全曲をトッパンホールで弾いてもらったときは、NHKの放映もあって、相当な反響を呼びました。先生にもお聴きいただきましたね。

播本: ドイツ音楽の持っているロマンティシズムや叙情性を何ひとつ失わずに、ああやってリゲティを弾けてしまうのが彼の魅力、凄さですね。誰も真似できない。あんなに誠実なリゲティってないでしょう。楽譜をきちっと読んでいて、まったくごまかしがない。作品自体は、どちらかというと無機質、さらにはあまりに超絶技巧が必要で、弾けても普通は弾くのに精一杯なのに、トーマスの演奏では、彼の人間性や驚くべきロマンティシズムが立ち上がってくる。

西巻: 今回は、アイヴズのコンコード・ソナタを弾いてもらいます。実は僕、この曲が苦手で、昔は面白くないと色めがねで見てたんですけどね。ヘルから直接CDを渡されて。そうしたら驚いた、彼が弾くとなんとも美しい。

播本: 彼は前代未聞なことをやりたい、という大志を持つ人でもあって、作品に新しい風を入れたいんですね。

西巻: このアイヴズはぜひ弾いてほしいと思って。そうだ、シューマンと組み合わせようと。

播本: 提案なさったの?

西巻: 決めうちは失礼かなと思って、ファンタジーかクライスレリアーナかと。そうしたら、「シューマンとの組み合わせはいいね、クライスレリアーナでやりましょう」と快諾してもらいました。

播本: トーマスはまたきっと、静かにみんなを驚かせるんでしょうね。

*    *    *  
播本: 驚くといえば、ドゥバルグはかなり面白いですね。なかなか驚きました。現代っ子らしく何でも弾ける、よく弾ける。でも彼のフィルターにかかると、どんな音楽も“ちょっとずつ”変わっていく。軽妙洒脱ね。

西巻: 実にフランス人だな、と思います。アタマもいい。

播本: 彼はピアノを弾いていてアタマがよくなっちゃった、ピアニスト脳じゃないかな。

西巻: 今回はショパンを弾いてもらいます。

播本: その勝負は、とてもいいですね。

西巻: 実は、トッパンホールの主催では、ショパンはほとんど取り上げたことがないんです。僕が満足のいくショパンの演奏になかなか出会えなくて。かたやドゥバルグは、「ボクのショパンはよく断られる、なかなか弾かせてもらえない」というので、「じゃあ、ありきたりのショパンに満足しない僕に、ぜひ聴かせてよ」と。

播本枝未子 播本: ショパンはね、あまりにも作品が素晴らしくて、私も満足する演奏にほとんど出会ったことがありません。演奏家はまず健康でなければ演奏できない。ショパンのような人生体験もないし、彼がゼロから苦しんで、もがきながら血みどろになって書いていくようなある種、不健康な精神にはなかなか想像が及ばないんでしょうね。少なくても日本で聴くショパンはキレイごとが多くて、まったく誤解されていると思う。ショパンについては私、かなりお話ししたいことがいっぱいあるの。

西巻: まったく同感です。ドゥバルグはどう弾いてくるでしょうね。

播本: そもそもこれ、どうやって終わるつもりのプログラムなのかしら。

西巻: ショパン・コンクールのあと、ポゴレリッチが出てきたときみたいなプログラムでしょう。

播本: う〜ん。このプログラム、西巻さんにいろいろインスパイアされて、彼が出してきた答えなんですよね。やっぱり並じゃないわね。面白い! こういう曲をこう、並べてくるとは。

*    *    *  
播本: タローはね、私の感覚では、いわゆる“ピアニスト”と言われると、ちょっと違和感がある人かな。ピアノを持たない、という点でね、“音”に執着がないんだな、と思いますし。音の出し方って、楽器と接してなきゃわからないでしょう。

西巻: トラーゼの真逆かな。

播本: でも映像作品など見ていると、アイディアがあってファッショナブルで、ピアノと別なところで興味が惹かれるし、そういうセンスに長けていますね。

西巻: 現代性のなかで、ピアノの在りようを新たに位置づけているというのかな。王道的に勝負しよう、とは思っていないでしょうね。ただ今回のプログラムは、タローの持ち味、よさが非常に発揮されると思います。前回は彼の希望をのんで、最終的にゴルトベルクにしましたが、もともとはこういう選曲をリクエストしていました。

播本: 佇まいにはポリシーが感じられるし、フランス人らしい洗練もある。彼の演劇性のようなものは、ひとつの生き方として、いまの子に何かヒントを与えるところがあるでしょうね。

西巻: そう思います。その意味ではね、バルナタンもきっと若い人の参考になると思います。ニューヨーク・フィルの音楽監督のアラン・ギルバートが、彼がNo.1だと言って、同オケの初代アーティスト・イン・アソシエーションに任命したくらい、入れ込んでいるアーティストです。《展覧会の絵》は、バルナタンが世界でもっともスリリングだと太鼓判を押している。

播本: 確かに、若い子にはいちばん…

播本・西巻: 親近感!

西巻: がありそうでしょう(笑)。立ち居振る舞いも如才ないし、優秀なビジネスマンみたいでね。たぶん練習しなくても本番でさらっと弾ける、なんでも簡単にかたちにできちゃうし、手を抜いてもなんとかなっちゃう。本気度は、当日の本人次第みたいなね。

播本: それだけ聞くと、西巻さん、興味なさそうなのに(笑)。

西巻: だからこそ、本気を聴いてみたいと思って。彼は全然ナルシストじゃない、そこがとても重要。プログラムはもうひと押ししたかったところもありますが、ドビュッシーとトマス・アデスの組み合わせはすごく面白いですし、このあいだのウィグモア・ホールでの演奏は、オンデマンドで流れていて、かなり興味深く聴きました。アランが猛プッシュしているので、そこまで推す理由をうちで聴いてみようじゃないか、と。

播本: 確かに、若い人がどこかしら接点を探しやすいタイプかもね。

西巻: トラーゼじゃ、どうしたって遠いでしょう。他人事になっちゃう。

播本: あの執念は、芸術の原点ですよ。

西巻: 原点だし、究極。

播本: こうお話ししてくると、誰も彼もユニークね。タイトルどおり。

西巻: あたりさわりのない芸術なんて、芸術とはいえないですからね。

播本: 本当に。五人五様の生きざまが聴けそうね。トッパンホールの主催企画、西巻さんにはいつも大きな信頼を置いていますから、好みは好みとして(笑)とっても楽しみにしています。

(2017年11月)

*1: 2007年2月〜11月にかけて行われたシリーズ。ムラロ、フェルナー、アファナシエフ、アンデルジェフスキが出演。プレトニョフ、カシオーリはアーティスト事情により公演中止となった。
〈ピアノの鬼才〉 >>>

*2: 2012年3月より展開中のシリーズ。これまで河村尚子、クン=ウー・パイク、シュ・シャオメイ、ユジャ・ワンが出演。
〈アジアの感性─多彩な才能とその多様な可能性〉 >>>
〈異才たちのピアニズム〉
2018年2月20日(火) 19:00 リュカ・ドゥバルグ
2018年3月20日(火) 19:00 アレクサンドル・タロー
2018年4月19日(木) 19:00 トーマス・ヘル
2018年5月23日(水) 19:00 アレクサンドル・トラーゼ
2018年6月26日(火) 19:00 イノン・バルナタン