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「文京」今昔めぐり

2018年3月13日 火曜日 水たま子 | | ホールよもやま話

みなさま、ご無沙汰しています。水たま子です。

くまポン同様、寒い冬の休日は、つい家に篭りがちの私。

ひと通りの家事を終えたあとにヒーターの前でぬくぬくしながら、スマホアプリの「江戸時代と現代を重ねて見られる地図」を眺めるのが日々の楽しみ。このアプリを使うと、現在の町の区画や道路が江戸時代の大名屋敷や川と大きく関係していることがとてもよくわかるんですよ!「この公園、なんで三角形なんだろう」と思っていた場所にピタッと大名屋敷のとがった角が嵌ると、「ほぉ~!!」と声が出てしまいます(笑)。


さて、水たま子が以前から気になっていたトッパンホール付近を見てみましょう。ホールの裏手にある文京区立金富小学校に面してゆるく蛇行している道路です。この道路の片側には急な勾配の上り坂があるんですが、なんだかアヤシイ・・・。早速、江戸時代の地図を重ねてみると・・・やっぱり!! 川でした。神田上水と書かれています。江戸川橋付近で神田川を分岐させ、小日向台地の裾の形状に沿って水戸徳川家の庭園(後楽園)へと繋がっていたようです。なるほど、スッキリしました~!!

他にも川の痕跡があるのでは?と気になってきた私、護国寺方面まで視線を移動してみることに。すると、護国寺正門前の参道(現在の音羽通り)を挟むように両側に弦巻川、水窪川(音羽川)と2本の川が流れていたことがわかりました。

これを見て、ふと幼少期のこと思い出しました。確か、首都高の下に黒っぽい川が流れていて、橋を渡った先の病院に通っていたのですが、あの黒い川は弦巻川だったのですねぇ・・・。

どちらも現在は完全に暗渠になっていますが、弦巻川は首都高速5号線に沿うように、水窪川は音羽通りの1本裏に道路として川の跡を残しているようです。

ついでにもう少し突っ込んで調べてみたところ、元々、弦巻川は護国寺前を横切って水窪川に合流、1本になって神田川に注いでいたのですが、護国寺が参道を作るにあたり、参道の両側に流れるよう付け替えられたそうです。そして、水質が良かったため、江戸時代後期はこの周辺では紙漉き業が盛んだったとのこと。きっと、今とは全く違う景色だったのでしょうね。

トッパンホールのある文京区は水戸徳川家をはじめ大名屋敷が多く、他にも徳川家康のお母様が眠る伝通院や徳川慶喜が最期を迎えた地など、歴史の重要ポイントが点在していて、まだまだこのアプリで楽しめそうです! もう少し暖かくなったら、アプリ片手に江戸時代の景色や暮らしを思い描きながらお散歩に出てみようかな。


そうそう!トッパンホールの立地は斉藤伊豆守のお屋敷跡のようです。

斉藤伊豆守・・・歴史は嫌いではないけれども得意ではない水たま子・・・ごめんなさい、わかりません!!時間ができたら調べてみま~~~す!!!

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