インタビューInterview
上手いなぁ、って言われても嬉しくない。
本当に心に残りましたって、言われたいです。
趙 静 Zhao Jing
- 聞き手=
- 西巻正史(トッパンホール 企画制作部長)
〈エスポワール〉第二弾アーティストとして登場する、趙静。中国に生まれ、堀了介に見出されて日本に学び、現在はベルリンを拠点にヨーロッパで活躍しながらさらなる研鑚を積んでいます。小澤征爾やクラウディオ・アバドをも魅了する大器は、トッパンホールにどんな音楽を響かせてくれるのか——。夏の音楽祭シーズンを前に日本に戻った彼女にお話を伺いました。
久しぶりですね。元気そうで嬉しいです。日本は暑いでしょ?
そうですね、すっごく暑い!
今日はトッパンホールでの3回のシリーズを中心に趙静さんご自身についてお話いただきたいと思います。では最初に…チェロと一緒に生きていこう、と思ったのはいつ頃でしたか?
5歳でチェロを始めてから、いろんなタイミングがあったんですけど、一番最初は6歳のとき。ラジオから流れるヨー・ヨー・マのチェロを聴いて、世の中にこんなに美しい音があるのかってすっごく感動したんです。その時が、人生、チェロと一緒に生きていきたいって思った最初です。でも私、子供の頃は練習しなくて、厳しかった父によく叱られてたんです。それを母が見かねて、ある日先生にチェロを返しちゃったんですね。練習しないからって子供が父親に叩かれたりするのはたまらないって。でも私はチェロと離れるのがイヤでわーわー泣いたらしくて。それで母は仕方なく、またチェロを持って家に戻ったみたい。中学生になると先生の言うこともよく聞いてちゃんと練習するようになったんですけど、その頃の中国はものすごく厳しくて、才能があっても外国には出られない時代でした。そういう環境のなかでは、人生をチェロと一緒に生きていくのは無理だろうなってあきらめかけていました。そんなとき14歳で堀先生と出会って、日本へ渡るのにすごく手を尽くしてくださったんです。1年後に日本に来たんですけど、私は本当にチェロが好きだし、毎日練習してもムダになることもない、ずっと続けていきたいって、チェロと音楽に対する気持ちが復活しました。
堀先生と出会ったのは、壁にぶつかっていたというか、曲がり角のときだったんですね。
堀先生が中国に来なかったら、子供にチェロを教えたりホテルなどでちょっと演奏するくらいで一生終わってたかも知れませんね。
先日堀先生にお話を伺う機会があったんですけど、そのマスタークラスの時にともかくあなたが強い印象を与えたんですって。自分の出番の直前もそして自分が終わった後も最初から最後まで、他の生徒のレッスンを目を輝かせて聞き続けていた。あんな子他にいないよって話してくださいました。覚えてますか?
何となく(笑)。でもいつでも、自分がレッスンを受けるだけじゃなくって他の人のを聞くことにものすごく興味を持ってるんです。生徒ひとりひとり、みんな違うじゃないですか。その人たちをどうやって教えるのかって、必ず勉強になりますよね。
その頃から熱心だったんですね。
あはは。素晴らしい?私?!(爆笑)ただ、すごく興味があっただけなんですけどね。
本当にチェロと音楽が好きなんですね。さて、それで堀先生が苦労して日本に呼んだわけですが。来て見て、日本の印象はどうでした?
最初は堀先生のお宅で生活してました。中国では中華しか食べなかったので(笑)、ナイフとフォークの使い方を覚えたり。学校は、中国と全然違いました。北京の音楽学校ってすごくルーズだったから。学校に入ったら努力しなくなる子が多いんです。入ったら卒業出来るからって。
日本の大学もそう言われることが多いけど(笑)。
東京音大が違うのかなぁ。私の周りの人は頑張ってましたよ。いい友人ばかりだったし。とっても優しい雰囲気のなかで勉強できました。皆んな親切で、来たばかりで何もわからない私にわかるまで根気よく説明してくれたし。言葉もそれで助かりました。
ところで、以前お話したとき人生には出会いが大切とおっしゃっていましたが、これまでの人生で一番大きな出会いって、何ですか?
人との出会いでいいですか?…う~ん。すべての出会いが大事だったかも知れない。堀先生がいなかったら日本に来られなかったし、小澤征爾さん。小澤さんに会わなかったら私、ここまで音楽に感動しなかったかも知れないし。ドイツの先生に出会わなかったらドイツに行かなかったし、ブルネロに出会わなかったらチェロで音楽をつくる力は思うように身につかなかったかも知れないし。今はゲリンガスと出会って……。
すごい恵まれてるよね。
自分でもそう思う!頑張らなきゃもったいない!って思っちゃいます、本当に。
それぞれの先生、それぞれの人からどんなインパクトを受けました?
どの人にも共通しているのは、人格者だっていうこと。どうしてっていうくらい心からのいい方たちなんですよ。最初に皆んなの音楽を聴いてすごく感動させられたのも、音楽に人柄が出ていたからだと思います。
そういえば4人の先生みなさん声のトーンからしてとても優しいですよね。それがそのまま音楽のなかに出ているし、人柄と音楽が高度なところで一致している方たちだと思います。趙静さんは本能的にそういうところに惹かれていっているんだなぁ、と思いますけれど、どうですか?あなたの音楽も人柄がストレートに出ているけれどね。
そう言えば、音楽だけ素晴らしくて人間的に合わない人には出会ってきませんでしたね。どうしてでしょうね。
本能的に見抜く力があるんでしょうね。
私が音楽を聴いていいなぁ、と思う人は人柄もいい人。小澤さんもそう。小澤さんに会って「おお趙静!何やってんの」って両手を広げて言われただけで、涙が出てくるんですよね。
さて、そろそろトッパンホールでのシリーズの話にうつりたいのですが。まずホールについてはどんな印象を持ってますか?
立派すぎて困ってます(笑)。室内楽には丁度いい大きさだし、木のせいかなぁ、何だか船みたいな感じもして、落ち着くホールですね。とっても気持ちがいい。それにあの音響可変装置、すごく気に入りました。本番に入るお客さまの数を見込んでリハの時に音を調整できるなんて、素晴らしい。それに好きな音がつくれる。ホールの音そのものももちろん、とっても気に入ってます。東京に素晴らしい室内楽のホールが出来て嬉しいです。
3回シリーズをやりたい、とオファーがあったときはどう思いました?
やりたい曲がたくさんありすぎて、5回だったらいいなぁ、と思った(笑)!リサイタル、コンチェルト、室内楽の3回になってますけど、リサイタルだけじゃなくて、室内楽ができるのは本当に嬉しい。室内楽は大好きだし、室内楽から学んだこともすごく多いと思っています。とにかく本当にいいホールだし、そこで弾くのはプレッシャーがあります。お客さんも自分も納得できるようなコンサートをしないとダメです、3回とも。
プログラムについてお話くださいますか?
1回めはベートーヴェンから始めます。何かベートーヴェンから始めるっていうと「ああ、ベートーヴェンか…」って重~い気分になっちゃいそうですけど、1番とヴァリエーションは、ベートーヴェンの強さと若さが出ていて、暗くない。でも若いときの作品なのにすごくよく出来てる。そしてショスタコーヴィチのソナタ。これは重い。一音一音背負っているものがあるし、楽章ひとつひとつのキャラクターも全部違っててすごい作品です。それからハンガリアンダンス。最後は明るく、皆んなもよく知っていそうな曲でしめようと思って。
2回めはどうでしょう。ハイドンとショスタコーヴィチというちょっと性格が異なる協奏曲を並べましたね。
ショスタコーヴィチは、ブルネロがマーラー・チェンバー・オーケストラと弾いたことがあって、チェンバーオケと弾くと素晴らしいって聞いていたので、ぜひ一度やってみたかったんです。なので、とても楽しみにしてるんです。だって普通は大きいホールで大きい編成のオーケストラで演奏するでしょ?それだとチェロは聴こえない(笑)。
あれだけオケの音が厚いとつらいですよね。朗々と歌う曲でもないし。…ハイドンは?
ハイドンのコンチェルト!これが6歳の時にラジオでヨー・ヨー・マで聴いた曲です。チェロをもっともっと好きになった曲。大好きな曲だし、大事な曲です。
そして3回めの室内楽は、……春までのお楽しみということですね。
はい(笑)。
新しくゲリンガス先生について、いちばん大きな変化は?
う~ん、ゲリンガスについてから忙しい。練習しないとすぐばれちゃうし(笑)。
叱られるの?
そう、ゲリンガスは“あ、練習してないな”って思った瞬間に顔がバンって変わるの(笑)!すごく怖い顔。ブルネロはニコニコ顔は別に変わらないんだけど、ニコニコしながら「これじゃダメじゃない」って言うのがこれが怖いの。ファウストはね、怒らない。堀先生は…怖いですよ。怖い部分はものすごく怖いの。いつもはすごく優しいんですけど。ゲリンガスは生徒の心理がものすごくわかってる先生なんです。生徒が本当に悩んでて、どうやったら弾けるのか困ってたら、お父さんみたいに気づいてくれるし、いくらでも一緒に悩んでくれる。本番前に携帯でメールを送ったらすぐに返信してくれるし。でもそれが怖いほうに出ることもある。
例えば?
コンサートですっごく上手く弾けた翌日なんかにレッスンがあるとすると、弾いた本人は昨日は上手く弾けて良かったって、まだ気分を引きずったままレッスンにいっちゃう。ところがそういう甘い心理をちゃんと見抜いてて厳しい眼で「さて、今日は何をやるの?」って。“昨日は昨日でしょ”って。
ところで将来はどんなアーティストになりたいですか?
自分がとにかく納得できて、しかもお客さまの心に残るような音楽をいつも演奏できるようになりたい。誰かが私の音楽を聴いて、上手いなぁって言ってくれても嬉しくない。本当に心に残りましたって、そう言われたいです。まだ時間はかかるかも知れないけれど、そういう演奏家になりたいですね。人生を賭けてできるかどうか、自分にもわからないことですけどね。
頑張ってくださいね。そうそう、4月に日中友好30周年の記念公演で都響と北京でコンチェルトを弾いて故郷に錦を飾ってきたでしょう。どうでしたか?
家に戻っちゃうと何もしたくなくなっちゃうから、ずっとホテルで練習してました。自分の国で弾くのは夢だったので、初めて弾けて実現できたのがすごく嬉しかった。いい経験になりました。父と母にも聴いてもらえたんですけど、彼らはちゃんとしたコンサートを聴くのは初めてだったと思います。
中国はね、いい加減なところがたくさんある。でも楽しい国。人間が明るくてオープンだし、いい加減だから人が人生を楽しむ、というようなところがあると思います。イタリアと似ているかも知れないな。ブルネロもそう言ってた(笑)。でもそういう国は仕事はしづらいですよね。日本はチェロをさらっていればよくて、他は何も心配しなくていいけれど、スペインやイタリアに行ったら、次の日の予定とか移動の方法だとかいちいち事務所まで行って聞かなくちゃならない。その点日本はちゃんとしてます。
では最後に、お客さまにメッセージをいただけますか。
コンサートでは、私は私のすべてを出して臨みますので、お客さまには心を開いてそれを受け取って欲しいと思います。弾き手と聴き手の交流ってすごく大事だと思うんです。聴きにきてくださった方が、はい、彼女は舞台の上の人、私たちは客席の人って思ってしまったらこんなさびしいことないです。よく交流できているときは、すごくいいエネルギーが満ちる。トッパンホールでの3回は、そういうコンサートが目標です。
(2002年7月26日/ビクター青山スタジオにて)
恩師からのメッセージ
堀 了介 氏
趙静のおおらかな性格と、その適応力、吸収力、好奇心の旺盛さは、日本に滞在していた約6年間に、日常生活だけでなく、演奏にもはっきり表れるようになってきました。それが、彼女独自の世界として作られつつあります。演奏家にとって、人との出会いは大切で、趙静にも、これからはチェロを教わるだけでなく、人との繋がりを広げていくことを大切にしてほしいと思います。また、これからも真剣に勉強に励むことで、演奏の幅を更に広げ、チェリストとしての道を大きく開いてほしいと願っています。(談)
マリオ・ブルネロ 氏
趙静は、自分にどれだけのチェロの才能があるかを知っていて、その通りの才能を秘めた人間です。楽器との対話、人との関係を築くといったコミュニケーション能力に優れていますし、中国の広大な大地を思い起こさせるような性格と、その一方で好奇心に溢れた一面を持っています。それが演奏にもそのまま表れているのが、彼女の魅力でしょう。これからも、安易な道に流されることなく、「正しい時に、正しい道を選ぶ」判断力をもち、自分のキャリアを一層広げてゆける演奏家になってほしいと思っています。(談)
〈エスポワールシリーズ 2〉趙 静(チェロ)
日中国交正常化30周年記念企画Vol.1 ~チェロ リサイタル~
2002/9/12(木) 19:00
松本和将(ピアノ)
日中国交正常化30周年記念企画Vol.2 ~チェロ コンチェルト~
2002/10/24(木) 19:00
藤岡幸夫(指揮)/日本フィルハーモニー交響楽団
Vol.3 ~室内楽~
2003/4/21(月) 19:00
クァルテット・ジェニーノ[趙 静(チェロ)/長原幸太(ヴァイオリン)/篠原智子(ヴァイオリン)/須田祥子(ヴィオラ)]
特別ゲスト:岡田伸夫(ヴィオラ)/堀 了介(チェロ)
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