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インタビューInterview

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オーストリアのヴァイオリン作品の独自性  

寄稿 グナール・レツボール Gunar Letzbor

アルス・アンティクァ・オーストリアのグナール・レツボール氏より、レツボール氏自身とバロック音楽、今回演奏される大作「ロザリオのソナタ」を作曲したビーバーについてなど、興味深く貴重なエッセイが寄せられました。


 学生時代には、オーストリアのバロック音楽に触れる機会がほとんどありませんでした。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、シューベルトといった作曲家の名作の傍らで、バロック音楽の占める余地はほとんどなかったのです。演奏されるとしても、せいぜいバッハやヘンデル、ヴィヴァルディといったところでした。

 ラインハルト・ゲーベルのおかげで、まずドイツとフランスのバロック音楽の豊富なレパートリーに開眼したのです。オーストリアのバロック音楽と出会うことになったのは、更に数年を経てからでした。私はローマヌス・ヴァイヒラインの音楽に夢中になり、その音楽を演奏するためにアンサンブルを結成しようと即座に決心し、それこそがアルス・アンティクア・オーストリアだったのです。それから数年の間に、私はオーストリア文化圏の重要な作曲家の数多くを知るようになり、ヴァイヒラインの「音楽の復興際 Op.1」のCD録音も行いました(伊シンフォニアSY 93S23/SY 94S30)。しかし、当時ウィーン・アカデミーのコンサートマスターとして多忙だった私には、自分自身のプロジェクトを実現させる時間はほとんどなく、再びヴィーン古典作品に拘束される日々が続きました。

 私がソリストとして出した最初のCDはH.I.Fビーバーのヴァイオリン・ソナタでした(伊シンフォニア SY94D28)。ビーバーとの出会いは私に深い感銘を与え、オーストリアのバロック音楽を再発見し、それらを演奏するために自分のこれからの努力と情熱を捧げたい、という想いを一層強くしたのです。この頃、ビーバーはにわかに演奏家にとって興味深い存在となってきていて、「ヴァイオリン・ソナタ集」や「ロザリオのソナタ」の録音がたくさん現れました。

 私は、以前よりオーストリアのバロック音楽はまったく独自な文化を表現していると感じています。ドイツ、フランス、イタリアのバロック音楽とは、ただ表面的に似ているということに過ぎません。独自の楽器群、形式、楽器編成、そして特異な音楽の扱い方が創り出す独特な響きが、オーストリアの音楽文化を際立たせているのです。

 私は、今こそ原典に集中的に取り組み、多民族国家オーストリア音楽の独自性を再発見するべきときだと思い、「ザ・サウンド・オブ・カルチャーズ‐カルチャー・オブ・サウンド」と名づけたプロジェクトをスタートしたのです。2004年、アルス・アンティクア・オーストリアは「ボヘミア」の音楽をプログラムの中心にして、シリーズ第5回目のヨーロッパ演奏旅行を行う予定です。過去のツアーでは、スロヴァキア、南ポーランド、北ドイツ、ハンガリーをテーマに4枚のライヴCDをリリースしてきました(伊シンフォニアで進行中。1月にキングインターナショナルから日本盤発売予定)。これらは、それぞれの文化圏の独自性を印象深く記録したものです。かつてオーストリアから生まれ、今日では独立した国家となっている国の芸術家や学者と協力し、このプロジェクトのプログラムは、今日ほとんど演奏されていない作曲家の作品で構成しています。プロジェクトのスタート以来感じている興奮と驚きは、筆舌に尽くしがたいものです。私たちは、これほど豊かな独自の音楽表現形式の数々と出会えるとは思いもしませんでした!

 ウィーン宮廷の音楽は、バロック時代、オーストリアに存在していた数知れない文化サークルで息づいていた独自の文化と結びついていました。イタリアの芸術家(ベルタリ、ヴィヴィアーニ)の場合、彼らの音楽的な色調の変化は難なく認めることができます。というのも、彼らはある時期、オーストリアで生活していたからです。ウィーンはまさに坩堝としての役割も果たし、数多く存在する異なる文化は、音楽が更なる高度な発展を遂げることにも影響を与えていたのです。

 H.I.F.ビーバーにとっても同様に、ボヘミアやモラヴィア(メーレン)のジプシー・ヴァイオリン奏者の演奏を毎日のように目にしていなければ、彼は独自の技巧的な演奏様式に到達し得なかっただろうと思います。当時、ジプシーたちは作曲の規則などまったく意に介していませんでした。彼らは、その独特な楽器構成から演奏自体をイディオマティックに発展させ、帝国の高い教養を受けた音楽家達よりもはるかに早く、且つ高度な名人芸に到達していたのです。このようなヴァイオリン演奏の根底にある姿は、本からの知識では決して得ることは出来ないものです。生き生きとした演奏にこそ、観察の目を向けなくてはなりません。現代の私たちは数多くの楽譜を読み、演奏しなければならなりませんが、仮にドーベルのソナタを演奏するときに、バッハやブラームスのソナタを思い浮かべて演奏すべきではないということなのです。常に、自分自身の思考をめぐらせ、批評的であると同時に独創的に過去の名作への接近を試みて演奏するべきなのです。

 最後に、忘れてはならないことは聴衆の存在です。音楽は、人間に生来備わったコミュニケーションの形式なのであり、聴衆を無視する演奏はコミュニケーティヴとはいえません。全ての言語や国境を超えて、音楽は人間同士の対話を成り立たせることが出来るものなのです。私は、日本の聴衆のみなさんは難なくシュメルツァーやビーバーの音楽に込められたメッセージを受け入れることができると確信しています。 音楽とは、愛、怒り、喜び、悲しみ、絶望、確信、神性・・・すなわち生命のメッセージなのです。

グナール・レツボール

〈ウィーンからの風 2〉アルス・アンティクァ・オーストリア ―17世紀ウィーンが薫る

2004/2/7(土) 19:00

アルス・アンティクァ・オーストリア(古楽アンサンブル)/グナール・レツボール(ヴァイオリン)

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