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インタビューInterview

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理解力と想像力。頭を使って積極的に音楽に参加する。
そういう聴きかたから得られる世界を楽しんでいただきたいですね。
 

鈴木秀美 Hidemi Suzuki

聞き手=
トッパンホール

最初に、バッハの無伴奏チェロ組曲についてお聞かせください。

 この曲集は、チェリストにとって非常に特別なものである、とよく言われます。確かに歴史的にも音楽的にも重要な作品ですし、演奏するのは簡単ではありませんから、きちんと準備して取り組まなければよい結果にはなりません。ただ、この曲だけを特別視するのは少々危険だと思っています。神聖視してもあまり理解の助けにはならないからです。また、個人的な思い入れのようなものが投影され過ぎると、音作りや音楽そのものがロマンティックになり過ぎる可能性もあるでしょう。バッハとその同時代の作曲家は、チェンバロその他の楽器のためにたくさんの組曲を残しています。チェロ組曲もそのなかのひとつ、という位置づけを認識しておかなくてはなりません。

この組曲まで、チェロという楽器にここまで独奏という役割を与えた作品はありませんでした。バッハを駆りたてたものは何だったと思いますか?

 そうですね。想定された奏者は判らず、文献資料などから得られる確実な答えはありませんが、一種のチャレンジ精神というか、チェロの可能性を追求しようという意欲からでてきたもの、と言えるでしょうか。バッハ以前、イタリアのボローニャ周辺には何人かの優れたチェロ奏者がいて、そこで最も古い無伴奏の作品が書かれています。バッハがそれを知っていたかどうかはわかりませんが、そこで使われていた調弦(AをGに下げる)を第5番に用いていますので、どこからか伝え聞いたのかな、と想像したくなります。

全曲演奏会にあたっては6曲を2晩に分けますが、曲の振り分け方にも何かメッセージが込められていますか?

 この6曲は簡単に言えば3つに分かれます。第1番第2番が一番短く、3番4番はやや長く、5番6番は一番長いという風に。また第5番は調弦を変える、第6番は五弦の楽器を用いるという特徴があります。最後の舞曲“ジーグ”のすぐ前に置かれる、当時よく好まれていたダンスが、第1番第2番は“メヌエット”、3番4番は“ブーレー”、5番6番は“ガヴォット”となっているので、バッハの頭のなかでは2曲ずつのセットになっていたのかな、と思われますね。
 演奏を2晩に分けるときに一般的なのは奇数偶数の分け方ですが、そうすると2回目のほうが静かなd-moll(二短調)で始まってしまいます。コンサートの最初はまだ耳が慣れていなくて、静かな音楽だとよく聴こえないことが多いのです。それを避けるために、以前のコンサートと録音では1・4・5と3・2・6という風に分けたのです。1・4・5は主調がソミド(G-Es-C)で座りがいいし、1+4=5と3×2=6だというジョークもあって(笑)。バッハは数字が大好きでしたからね。いずれにせよ2曲ずつのグループですから、上手く分けないと一晩で全部の舞曲を聴いていただけないのです。今回は、ごく普通に奇数偶数で行くことにしました。2晩目を、第2番でなく4番で始めるということも考えられますしね。

ここに耳をすませて欲しい、というところは?

 バッハは、ヴァイオリンのパルティータとソナタでは、鍵盤楽器のように旋律と和声と低音の3つの要素をできるだけ実現しようとしています。ところが、チェロではそれを具体的にしていません。頭の中にある音楽を実践するのに違う方法を用いているわけです。言い古された表現になってきていますが、このチェロ組曲は、音楽の半分くらいしか音が書かれていなくて、残りは聴く人の理解力・想像力と記憶力にかかっています。そのあたりのことを、僕は前から落語と共通するものがあるなんて言っているのです。落語にはたくさん人物が登場しますが、実際にはひとりの人が演っている。それを、会話や場面として構成するのは聞き手の想像力と記憶力なんですよね。それと同じことがこの組曲に言えるのです。たったひとつの音からそこにハーモニーがあることを知らせたり、弾かないでいるけれど“本当はここでハーモニーが変わる”というのを、あとでちょっとだけ種あかしのように弾いたりするのですね。“仄めかす”とか“示唆する”だけにして、物理的には複数の声部を弾ける部分でも、わざと書いていないところがあります。そこには何か別な論理や意図があったんだろうと思います。それが「理解」と「演奏」両方の難しさでもあり、また面白さでもあるわけですね。想像力や記憶力をよく働かせれば、鳴っている音と記憶のなかの音が重なってハーモニーとなり、奥行きの深い絡み合いとなって聴こえてくるはずです。
 最近は何事につけ、考えなければわからないものは難しくてよくない、シンプルですぐにわかるものがいい、という風潮がある気がします。それにもよい面はありますが、音楽の場合には、理解やいろいろな含蓄を平易で単純なものにしてしまう危険も含んでいるわけですね。音楽の聴きかたには、感情の波に運ばれ感動するのを楽しむような方法もあれば、言葉を理解するのと同じように頭を使って聴く方法もあるわけです。どのように聴かれるにせよ、音楽を楽しんでいただければ良いとは思うのですが、コンサートの空間では言葉のように様々なやりとりが生まれます。それは演奏者である私とのやりとりであると同時に、バッハそのものとのやりとりとも考えられますので、そういうことをお楽しみいただければありがたいですね。

最後に、お客さまにひと言お願いします。

 初めて全曲演奏会のツアーをした13年前と今では、当然音楽の考え方が変化していますが、同じ楽器・同じ弓も状態や扱いがかなり変わってきていまして、それによって表現やテンポ感なども変化しています。よくなった悪くなったではなくて、何か違うものになったという風にお聴きいただければありがたいと思います。

ありがとうございました。演奏会、とても楽しみにしています。

鈴木秀美 バッハ無伴奏チェロ組曲 全曲演奏会

第1夜

2004/7/2(金) 19:00

第2夜

2004/7/3(土) 19:00

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