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インタビューInterview

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モーツァルトとプロコフィエフ、
4つのソナタが照射する、天才の横顔(プロフィール)
 

小川典子 Noriko Ogawa

聞き手=
トッパンホール

ロンドンと東京を拠点に、広く世界で活躍を続ける小川典子。地に足のついた歩みのなかで自身の個性を見極め、じっくり音楽を深める一方で、後進の指導や慈善活動にも真摯に取り組んでいる。広い視野、広範なフィールドでの活動で、ひたむきな人間性と音楽家としてますます充実の度を深める小川に、今回のプログラムに込めた思いを語ってもらった。


 思い起こせば、トッパンホールでの前回の出演は、何と2001年9月11日でした。マチネ公演でしたが、大きな台風が来ていて、ちょうど開場時間に東京を直撃するのではないか、という状況下、いろいろなものが風に舞うなかを何とかホールに到着して、お客さまは来てくださるのか、風の音がホールの中まで響いたらどうしよう?と、心配ごとで頭がいっぱいでした。気がかりが多すぎて、肝心のステージのことは実はあまり記憶にないのですが(笑)、でも、ひどい天候にも関わらず、たくさんのお客さまが来てくださってとても感激したのを覚えています。
 それでホッとして帰宅して、台風どうなったかしら、とテレビをつけたら大変なことになっていて。忘れられない1日です。

 今回弾くモーツァルトとプロコフィエフは、両極端でありながら共通性も見いだせる作曲家で、対比して聴いていただくのに面白い選曲にできたと思います。ともに“天才”で“ピアノの神童”と呼ばれ、どこにも無駄な音が書かれていない、クリアなつくりで音色や細かい響きが音楽を特徴づけていく、という点が似ています。

 モーツァルトは、ピアノ・ソナタの形ができつつあった頃の作品を並べました。K310は、最愛の母を亡くした悲しみと父親との逃れようのない確執にもがくなかで書かれた、と言われる曲ですが、一方で、彼は周囲の事柄が直接作風に影響していないんじゃないか、という説もあって、K311は同じ時期に書かれていても、対照的に明るく軽やかな作品になっています。モーツァルトの陰と陽、ともいえるでしょうか。モーツァルトのソナタは、ピアニストが抱くひとつひとつの音符に対する考え方が、丸裸の状態で伝わってしまう。楽譜の読み方の基本をどこに置いているのかが、そのまま表現されてしまう作曲家なので、ごまかしが効かないという意味で、シリーズ名にあるとおり、まさに“直球勝負”ですね。

 プロコフィエフは常に古典を意識しながら創作した人で、モーツァルトのことは特に意識していたはず。だからこそモーツァルトをあまり誉めなかったりして、自分の非凡さ、天才性を自画自賛した人でした。こちらもふたつのソナタを弾きますが、2番は、彼が自分のスタイルをちょうど築いたころの作品、7番は、アメリカへの亡命後、再びソ連に戻ったあとの円熟期の作品で、さまざまな迷いの果てにたどりついた、社会主義リアリズムにも影響されている曲です。第二次世界大戦前後に書かれた3曲の「戦争ソナタ」のなかでも、特に傑作とされている画期的な作品で、2番の、ちょっと無邪気で明るい作風と、時代に翻弄されて追い詰められたところで書かれたものとで、印象もまったく異なります。
 7番は、学生時代からこんな凄い曲はない、と憧れを持ってきた、思い入れも多い曲です。第1楽章の途中に“冷たい雰囲気で”という指示が入っているのですが、そういう指定はそれまで見たことがなくて、なんとミステリアスで格好いいんだろう、と思いました。1942年に書かれて翌年リヒテルが初演しているのですが、アンコールを受けてもう一度最初から弾いたという記録が残っています。兵隊の踵の音がカツカツと聞こえてきたり、吹きすさぶ木枯らしや、雪の舞う嵐のなかで襟を立てる兵隊の視線とか、そういう情景が目に浮かぶ、想像力がかきたてられる曲です。ドイツ相手の戦争で究極の状態に置かれていた当時のソ連の人たちの気持ちに、切実に響いたのでしょうね。

 モーツァルトとプロコフィエフでは、音の出し方もまったく異なります。プロコフィエフではピアノをカーンと鳴らすというか、鉄の響きみたいなものを出すところもありますし、風の音だとか、リアルな耳ざわりが要求される。モーツァルトではもっと楽器と丁寧に対話しながら、響きを編んでいく感じです。それぞれがまったく異なるテンションの曲ですので、弾き分けていくのは大変だと思っていますが、楽しみでもあります。前半と後半の対比、前後半それぞれのなかでの2曲の対比も、ぜひお楽しみください。

 今はイギリスと日本を拠点に、演奏活動と後進の指導にあたっています。イギリスではピアニスト同士がとても仲がよくて、分業のようなことも進んでいる。それぞれが得意だったり興味のあるものを極めていって、そうじゃないものは、それを得意にしている人に仕事をまわしていくというようなことです。作品の数が断然多い、ピアノを弾く者の特権ですね。教育現場も非常に風通しがよくて、生徒が、作品ごとにそれを得意としている先生に学べるよう、先生同士で配慮ができるような仕組みもはじまっています。学校の主任教授クラスは、今はもうほとんど私と同世代になっていますから、本来あるべき教育の姿を実現しやすい状況になっているとも言えます。コンクールの審査員をすることも多いのですが、今は○○先生のお弟子さん、ということが採点上まったく関係なくなっているし、課題曲も以前ほどには縛りがなくなっています。審査するほうは大変ですが、いい傾向だと思います。

 イギリスのピアニスト仲間には、現在でも音楽との向き合いかた、という点で影響を受け続けています。自分の得意なことをやる、苦手なことは得意な人にまかせる、自分のやりたいことは自分で実現する、というようなことですね。音楽祭を主宰するような人もたくさんいて、私も自分のやりたいことは、自分で動いて、という風に今はしています。故郷の川崎では、ジェイミーのコンサート、という自閉症児を持つご家族のためのコンサートを続けているのですが、これも私の体験に基づきはっきりしたイメージがあって始めました。

 日本にいられる時間はどうしても限られますが、いろいろな形で日本にも情報や新しい考え方を還元していきたいと思っています。

〈おとなの直球勝負 10〉小川典子(ピアノ)

2010/12/9(木) 19:00

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