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インタビューInterview

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ふたりのシューマンに憧れて── トッパンホールプレスVol.75より

伊藤 恵 Kei Itoh

取材・文=
トッパンホール

人生の夏を力強く駆けるアーティストが、考え抜いたプログラムでその真価と現在を聴かせる〈おとなの直球勝負〉。3年ぶりとなるこの人気シリーズに、いよいよ伊藤恵が登場します。20年をかけて完結したプロジェクト「シューマニアーナ(ピアノ作品全曲録音)」に象徴されるように、伊藤のライフワークは“シューマンの探求”。今回は、並々ならぬ情熱を傾け続けるこの原点=シューマンに強くスポットを当てます。


 今回、シリーズ名にある“直球”の言葉が飛び込んできて、シューマンを全面的に取り上げることに決めました。《クライスレリアーナ》と《幻想曲》は、いずれも彼の最高傑作と言って言い過ぎではない2曲。どちらも大作で、一度に弾くのは大変だし思い切ったことですが、私をシューマンへと誘った人・クララの作品も並べて、ふたりへの私の想いを凝縮したプログラムに仕上げました。

 私のシューマンへの決定的な入口は、音楽好きな伯母から贈られた一冊の本「クララ・シューマン―真実なる女性(原田光子・著)」。高校を卒業してザルツブルク(モーツァルテウム音楽院)に留学する前に、ぜひ読みなさい、と渡されて。もう、クララに夢中になりました。本当にすごい人。ラヴレターのように贈られるロベルトの作品を次々に弾いて世に広め、父親の猛反対も押し切ってついには彼と結ばれ、子をたくさん生んで育て、それでも生涯ピアニストだったうえに作曲までして“尊敬”の文字しか浮かびません。心から憧れました。

 一方で、私の人生の大切なポイントには、必ずロベルトがいました。5歳で有賀和子先生につくとき聴いていただいたのが、《子供の情景》。中学では同門の子がみんなショパンのバラード1番を習っているのに、私だけ《アベッグ変奏曲》。有賀先生はシューマンを得意になさっていたので、私に何かを見出してくださったのかも知れません。ザルツに行くきっかけになったハンス・ライグラフ先生の桐朋学園でのレッスンでも、有賀先生のすすめで《幻想小曲集》をみていただきました。ザルツに行ってからも、ライグラフ先生が次から次にくださる課題はシューマンばかり。その最初が《クライスレリアーナ》でした。そのうち先生ったら「ショパン弾きはたくさんいても、シューマン弾きはなかなかいないから、きみ、なるといいぞ」とおっしゃって(笑)。振り返ってみると、自分でシューマンを選んだというよりは、与えられたものに一生懸命取り組んできた、ということかも知れません。

 それでもシューマンにどっぷり浸かってきたのは、凄く共感するところがあるからです。彼の作品を通じて感じるのは“たったひとりの人へ伝えようとする想い”。偉大な先達ベートーヴェンという巨大な壁、幻聴など終わりのない病苦多くの葛藤のなかで作曲し続けた人ですが、作品の根底に究極的に流れているのは“ひとりの人への愛”だと感じます。それで私も、演奏会で弾いていても、そこに何人お客さまがいらしても、作品のさまざまな感情を表現する一方でシューマンに気持ちを重ねて、どこか“たったひとりの人のために弾く”ようになっていった気がします。音楽には、ときに時間を越えて記憶やイメージを喚起、刺激する力がありますから、お客さまが聴きながら、誰かを思う気持ちを重ねてくださったら嬉しいですね。

 《クライスレリアーナ》と《幻想曲》は、シューマンのなかでも特にロマン主義志向が強く表れた2曲。階級制度が無くなって平等が謳われるようになり、個人の感情が大切にされはじめた時代を象徴する作品かも知れません。ちょうど、クララとの恋愛がピークを迎えた時期に作られました。2曲は作品番号こそ隣り合わせですが、全然違う書き方がされています。《クライスレリアーナ》は、8つの小さな曲によるひとつのツィクルス。初版はショパンに献呈されていますが、実は「笑ったり泣いたりしながら、きみのことを想って書いた」というクララ宛ての手紙が残っています。3日くらいで仕上げたという、恋人を想う強い情熱の勢いが書かせた曲ですね。《幻想曲》はベートーヴェン生誕65周年のときの、リストの呼びかけがきっかけで作曲されました。ベートーヴェンへのオマージュ的な大きなソナタ形式で、《遥かなる恋人へ寄す》の引用からは、ベートーヴェンという巨星への尊敬と挑戦を見ることもできます。そして曲頭に添えられたシュレーゲルの詩には、クララへの深い想いが潜められていると言われています。

 そんな2曲ですので、プログラムにクララ作品を合わせました。彼らはまさに相思相愛。彼女の曲からは、彼女がロベルトの内面的なものをいかに愛していたか、彼をいかに尊敬していたかが聞こえてきます。女性らしい繊細さやあたたかさ、純真な乙女心、穏やかな母性など、クララはピュアでラヴリーで、ちょっとメルヘン(笑)。女性の活躍が困難だった時代、作曲家としての才能にもリストなど当時の名だたる音楽家からの多くの賛辞が残っています。作品を弾くと、彼女がピアニストとしてもどれほど優れていたかがよくわかる。全編を通して、ふたりのシューマンの才気と、強いつながりをお聴きいただけたらと願っています。

 実は、クララの本をくれた伯母は、長いあいだ凸版印刷さんで校正の仕事をしていた人でした。伯母はもう亡くなりましたが、ご縁の深い場所での私のシューマン・プログラムを、きっと天国で喜んでくれていると思います。

〈おとなの直球勝負 14〉伊藤 恵(ピアノ)

2015/1/24(土) 15:00

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