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インタビューInterview

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ペヌティエの祈り トッパンホールプレスVol.94より

伊藤 恵 Kei Itoh

取材・文=
トッパンホール

こういう形で、ペヌティエ先生のお話をさせていただけて嬉しいです。先生のあたたかさや厳しさ、懐の深さや佇まいの気高さに、心から畏敬の念を抱いています。本当に素晴らしい方です。直接師事はしていませんが、トッパンホールでの公開レッスン(2014年5月)を聞いて以来、「先生」とお呼びしています。ショパンの《前奏曲》が取り上げられ、ショパンを弾くことにためらいを持っていたところに、大きな勇気をいただきました。お蔵入りを考えていたアルバムを発売したのも(*)、このことが後押しになっています。コンサートはその前から、できる限り聴かせていただいていました。最近は毎年のように来てくださって嬉しいですね。

私は素晴らしい演奏家を聴いていると、現実を離れて別世界に連れていかれるような気持ちになるのですが、ペヌティエ先生の演奏がまさにそうです。まるで幽体離脱をして、宇宙空間に浮かんでいるような美しくまたたく星々のあいだで、感性だけが目醒めているような感覚に包まれます。そして先生の音楽に触れていると、気持ちがとても敬虔になる。たとえば、私たちは地球の自然に生かされていますが、それはただ美しいだけのものではなく、生命体としての地球の活動はときに、人間に猛威をふるい深く傷つけることもあります。先生の音楽からは、そういうこともまるごと受けとめた、自然への尊敬と畏怖の念、深い祈りを感じます。自分の都合だけを考えがちな私たちに代わって、大変なものを背負ってくださっている。ロシア正教の司祭様でもいらっしゃることは、ずっと後で知りましたが、先生の音楽は最初に聴いたときから印象が変わりません。宗教家だけではない、音楽家もそういう使命を負っている、音楽によって祈り続ける、という生き様が強く伝わってきます。音楽が内包している苦しみや痛みの部分までも全身全霊で受け入れながら、静かな佇まいのなかで非常に深く、能動的に祈られるお姿からは、ときに大変な厳しさも感じ、聴いていて自らの居ずまいを正すところもあります。

今回のプログラムは、夭折したふたりの天才の作品を、あの深い懐からどのように表現されるのか、とても楽しみです。

ペヌティエ先生のモーツァルトといえば、2006年にラ・フォル・ジュルネで弾かれた《きらきら星変奏曲》が一生忘れられない衝撃でした。あの可愛らしいハ長調のテーマからして、今からオペラが始まるのだという予感に満ち、後はずっと金縛り状態。聴き終えたときの感慨はもう、《ドン・ジョヴァンニ》のものでした。《きらきら星》の屈託のないイメージは吹き飛んでしまった。「モーツァルトはやっぱりオペラなんだ!」と実感したと同時に、音楽のもつ清と濁のせめぎあいのようなものが小さな変奏曲のなかに凝縮されていて驚きました。《幻想曲》もきっと、最初の一音から言い知れぬ暗示や予兆を感じる演奏だと思います。シューベルトは音楽そのものが「ぼくはいなくなるね、さよなら!」と言っているようで「でも、みんな元気でね」と希望をくれる。あちらでもこちらでもない世界に触れていく感覚があるため、年齢を重ねると弾きたがる人が多いのかもしれません。シューベルトは私にとっても大切な作曲家のひとりで、先生のCDも大好きです。舞台ではどうお弾きになるのか、待ち遠しいです。

私たちクラシックの演奏家は、亡くなった人と日々会話しているようなもの。楽譜という手がかりから誰でも建物までは見えて、入口にはたどりつけるかもしれない。でもその先、いくつの扉が探せるか、扉を開ける鍵は持っているのか、扉の先の世界をどう受けとめ、聴き手にどう伝えていくのか。世界はきれいごとだけではないし、それを受け止めなければ美しいものへの本物の感動も感謝も生まれません。扉を開けたときに、自分が見たことのない世界にいけたら幸せだと思いますし、そういう理想をいつも持っていられるから、音楽家というのは幸せだなと。ペヌティエ先生の素晴らしいお背中にも学びながら、きっと死ぬまで鍵探しですね。

2017年4月に発売された「ショパン:24の前奏曲/シューマン:クライスレリアーナ」(フォンテック/FOCD9744)

(2017年7月)

ジャン=クロード・ペヌティエ(ピアノ)

I ソロ

2018/5/8(火) 19:00

II デュオ ─盟友 レジス・パスキエとともに

2018/5/11(金) 19:00

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