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公演情報Concerts

リゲティ:「現代音楽」の否定からはじまる現代音楽

沼野雄司 

生誕100年を迎えるジェルジ・リゲティ(1923-2006)の生いたちは、悲劇的かつ複雑だ。トランシルヴァニア地方(現ルーマニア)に生まれ、ハンガリーで教育を受けるが、第二次大戦が始まるとユダヤ系であった彼は強制労働所へと送られた。ようやく終戦を迎えてブダペストで活動を再開したものの、次にリゲティを待っていたのは、共産主義体制に組み込まれたハンガリーでの様々な文化弾圧だった。これに耐えきれなくなった彼は、1956年、ウィーンへと脱出する。
ナチズムとスターリニズムという悪夢から離れて、念願の「自由な」創作が可能になったリゲティは、ほどなくして《アトモスフェール》(1961)に代表される作品群によって、前衛の旗手として知られるようになった。
しかし、その言葉や作品から察するに、すでにリゲティはこの時点で、同時代の音楽に一種の違和感を持っていたように見える。極限的な状況の中で青年期を過ごしたリゲティの眼には、おそらく多くの前衛音楽はあまりにも楽観的に映ったのだろう。数理的なシステムの彼方に桃源郷を夢みていたり、難解な音響をもちいながらも、つまるところは単なる心象風景の描写や人間賛歌であったり…。十二音音楽、トータル・セリアリズム、不確定性など、さまざまな意匠が凝らされてはいるものの、人間の知性や倫理にたいする素朴な信頼がその根底にあることにおいて、これらは驚くほどよく似ている。
リゲティの音楽の凄みは、これらすべてをいったん否定した上で、人間と音楽が関わりあう地点に生じる様々な綻びや「ズレ」をリアルに拡大してみせることにある。かくして彼の作品には、現代のわれわれを取りまくなんとも言えない不安感、まさにペシミズムとオプティミズムの間で宙づりにされた泣き笑いの感覚が、そのまま投影されることになった。
これこそ真の「現代音楽」というべきではなかろうか。


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